富岡のプロ

 やっと何とか富岡市美術博物館の亭主との展覧会が始まりました。皆さんご高覧よろしくお願いします。そして何よりこの展覧会を開催して下さいました富岡市と美術館関係者に感謝の気持ちを送りたいと思います。ありがとうございました。私の住んでいる下仁田町の町長を始め、町の行政も応援して下さっています。HOMEグラウンドはやっぱりありがたいです。


 特にこの展覧会を現場でいっしょに走って下さいました肥留川裕子さんにありがとうの言葉を私とあなたの年を足した分をプレゼントします。意味はありません。


 さて展覧会の仕事を進める中での雑談で肥留川さんに私が「今後どのような美術館に向かえばいいと思いますか?そして肥留まる川さんはどういった学芸員を目指しますか?」という質問に対して「私は富岡のプロになりたいです。」と明確に答えて下さいました。肥留川さんすごい!そしてそれはこれから富岡の美術博物館が向かうべき方向そのままだと感じました。


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 その地域にある美術館はその地域の文化意識そのものだと常々思っています。大きい予算がある美術館であれば、たくさんのすご腕の学芸員をより集め、最前線のアートを紹介できると思いますが、富岡はそうはいきません。かといって少ない予算内で大きい美術館が向かう方向に合わせて、それなりの展覧会を開く方向に舵を取ると、その美術館の顔は存在しなくなってしまいます。それは我々作家も同じです。少なくとも私はそう思います。


 東京などの中央に目を向けるのではなく、足元を見据えること。私は地方性、土着性を書くに制作をしたいと考えています。どうにもパッとしなくて、垢ぬけなくて、自分の意見を持つのは罪悪くらいに思っているこの地元を心からいつくしみで表現したいと思うのです。肥留川さんが我々の展覧会のタイトルを考えていた時「下仁田から」という言葉を提案しました。結局は富岡からという言葉には落ち着きましたが、足元を掘る制作姿勢と肥留川さんが語る富岡のプロという言葉は同義と思います。


 富岡のプロの目指す美術館になるためには、企画展内容はもちろんですが、教育プログラムを今以上に充実して欲しいのです。我々参観僻地で教育を受けたものは、美術教育から本当に縁遠いせいかつになってしまうのです。もちろん、人材と経費の問題で、手が回り切れないところで努力していただいている現状に不満を申し上げているわけではないのです。群馬は高校教育で、芸術に美術がない高校が多い分、小学校、中学校で美術の専門教師がいないタイミングの時に幼少期を過ごすと、美術は苦手、美術館は言ったことがないライフスタイルになってしまうのです。美術館が美術教育を代わりに担って欲しいなどと申し上げるつもりはありません。どうかどうか、きっかけの種をまいてほしいだけなのです。作家の立場以上に母親として切に願っています。


 富岡のプロを群馬のプロまで広げますと、やっぱり普通に高校の芸術には音楽、美術、書道は存在して欲しいです。教育の専門家の皆様お願いです。声を上げて下さい。